第4回 吉村 作治さん × 目黒 正武さん

エジプト考古学者 吉村 作治さん×NPO法人 世界遺産アカデミー 主任研究員 目黒 正武

宝探しの最終章は、見つけた遺跡を知り、護ること

第4回 吉村 作治さん × 目黒 正武さん エジプト考古学者 × NPO法人 世界遺産アカデミー 主任研究員

サイバー大学と世界遺産検定の連携を機に、吉村作治学長と世界遺産アカデミー主任研究員目黒正武との対談が実現! 吉村学長が学者を志すきっかけとなったエジプトへの思い、学問としての歴史の捉え方、そして人類共通の財産である「世界遺産」の学びについて、お二人の思うところを語っていただいた。

―― エジプトひとすじ55年間 ――

目黒:吉村先生は世界遺産の理念が誕生したきっかけになった、1959年エジプトのアスワン・ハイ・ダム建設計画(このダムの建設で「ヌビアの遺跡群」はダムに沈む予定だったが、ユネスコの呼びかけで国際的な援助が実現し遺産が救われた)の時にすでにエジプトにいて、多くの国が協力したこの活動を実際にご覧になったとのことですが、そもそもエジプトに興味を持ったきっかけは何だったんですか。

吉村:10歳の時、僕は運動があまり得意ではなく、放課後ソフトボールをするようなグループには入れなかったので、よく図書館で本を読んでいました。その時出会った一冊がツタンカーメン王の墓を発見したハワード・カーターの伝記でした。僕は純粋に、20世紀にもなって本当の宝探しができるエジプトはすごい国だと思いましたね。エジプトで冒険、発見、宝探し。それが僕の夢になりました。けれどもエジプトの本は、当時全然なかったんです。そこでこれならエジプトの本を書いて生活できるかも、などと子供らしくないことを考え、担任の先生にどうしたら専門家になれるか聞いたところ、東京大学か京都大学に行って、学者になることを勧められました。

 結局、東京大学ではなく早稲田大学に入学することになりましたが、当時大学は学園紛争や安保闘争の真っ盛りでした。大荒れで授業なんてやっていませんでしたので、この隙にエジプトに行ってしまえ!と思い立ったんです。しかし1966年当時、海外に行くのは今南極に行くのより大変で、航空賃は学生が何年働いてもだせない金額でした。それでもいろんな交渉をして、やっとタンカー船にタダで乗せてもらいました。

 当初は、初めてのエジプトということで、言葉も習慣も地理も気候も、生活そのものがわからず大変な苦労を経験しましたが、半年経った頃にはこの国と一生連れ添える自信がつきました。

その後エジプトの関係部署にお百度を踏んで、やっと発掘を始めたのが1971年。10年かかるといわれた発掘許可を3年でとりましたが、それでもこれだけ時間がかかって、やっと日本初のエジプト発掘隊ができたわけです。僕がエジプトと出会って55年が経ちますが、今でもエジプトひとすじですよ(笑) もちろん周辺国の知識は大事なので勉強していますが。

ダハシュール北現場赤ピラミッドを背景に

目黒:たくさんの冒険、発見そして宝探しをされてきたんですね。これからもその宝探しを続けられるんですか。

吉村:初めはエジプトに行けるだけで嬉しい、次は発掘できるだけで嬉しい…と夢中で「宝探し」をしていました。だけど、そのうち「発見された、今ある遺跡をどうやって護って残していくかが重要」ということに気が付きました。だから僕の宝探しの最終章は、宝(遺跡)を、それを作った人々の想いを理解して護ることと、護ることのできる人を育てることです。それはアスワン・ハイ・ダム建設計画で巨大なアブ・シンベル神殿を切り分けて移動してまで護ろうとする人々の努力と、それによる「世界遺産」の誕生をリアルタイムで見てきたことにも影響されているのかもしれません。

目黒:僕が世界遺産アカデミーに入った遠因は、やはり安保闘争ですかね。安田講堂が落ちたのが高校2年で、大学に入った後もほぼ授業は無かったです。旅行が好きでしたので国内をあちこちまわってその流れで旅行会社に就職したんですが、営業してツアーの予約を取り、添乗をし、清算もすると大忙しで、ひたすら仕事をしているだけ。20年くらいやっていましたが、自分が楽しむという感覚はなかったですね。わずかにパリで、凱旋門からコンコルド広場まで切り開かれたようにまっすぐなシャンゼリゼ大通りを見て、なぜこの町はここまで直線なんだと疑問に思ったことを覚えています。

 アカデミーは友人に誘われたのですが、入ってから急激に他文化の面白さに目覚めました。以前は仕事だということで、自分の興味を押し殺していたのかもしれません。それまで楽しむための知識がないまま100ヶ国以上行っていたわけで、本当にもったいないことをしました。世界遺産について先に意識的に学んでいたら、ポルトガルに行った時もただ「シントラの宮殿は変だなあ」などという印象でなかったでしょう。増築時にイスラム復古の波があったことや大航海時代の富が注がれたことを知っていれば、ずっと感慨深かったはずです。もう少し前から勉強していれば、と思いましたね。

―― 本気で望んで努力するなら、かなわない夢なんかない ――

目黒:吉村先生は、ほぼゼロから日本におけるエジプト学を立ち上げたと思うんですが、途中でよく挫けなかったですね。

吉村:よく「本当にやりたいことなんか、できやしない」と言う人がいますが、本気で計画を立てて努力するなら、かなわない夢なんかないと僕は考えます。このインタビューを読んでくれるすべての人に伝えたいのですが、僕に言わせれば、人間にとって唯一挫折と言えるのは死だけです。生きていてあきらめない限り、人は必ず前に進むことができると信じています。僕は手段や方法は色々考えますが、大本の価値観はぶれません。世界約200ヵ国まわっても変わりませんでしたよ。それが良かったと思っています。2~3ヶ月でやめるなら、そりゃ、だいたいの夢はかなわないでしょう。もっと長いスパンで計画し、何が大事なことなのか忘れずに努力し続ければ、本気の夢はかないます。必ず。

ギザ・カフラー王のピラミッドとスフィンクスを背に

目黒:世界遺産やその周辺の歴史を勉強するようになって「こんなこと全然教えてもらってないよ!」という驚きが何度もありました。日本はかなり西洋中心主義の視点からものを見ていますね。

吉村:そうですね。日本人がまず文明と言われて頭に浮かぶのが近世ヨーロッパ。それを翻訳して今の学問の基礎が成り立っています。ちょっと調べた人はイスラムと言い、さらに進むとビザンチン、ローマ、ギリシャと来るのですが、そこで終わりです。西欧の人がそうだったからです。どう頑張ってもギリシャまでしかさかのぼれなかった。しかし実は、多くの文明の起源は古代エジプトとメソポタミアの融合なんです。融合させ体系化したのがギリシャ人ですから学術用語はギリシャ語かその変形のラテン語なんです。ただそこまでだと、古代のエジプト、メソポタミア、インダス、中国などの文明について理解できません。多くの人はそれに気付かなかった。今でも日本の大学でギリシャ以前の視点までさかのぼって研究しているところは少ないのです。

 そして世界遺産にはそのギリシャ文明より古い遺産が約3分の1あります。それをギリシャ以降の常識で解釈してもわかったとは言えないでしょう。ヒエログリフは解読が大変で、文字を追って研究している側には1822年のロゼッタ・ストーン解読後しばらく経たないと中身がわからなかったという事情もあります。今は、ヨーロッパの学者達もヒエログリフが読めるようになって、ヨーロッパ文明の源はエジプトだと言いだしています。彼らは文字にこだわるので歴史家に近い。僕は考古学者は文字だけでなく、遺跡や遺物から当時の生活を復元していくものだと思っています。発掘するだけじゃない。日本もそろそろ変わった方がいいと思っています。
あと、僕は世界遺産について、形がない伝統…無形文化をもっと大事にするべきだと思っています。能や歌舞伎といった芸能だけではありません。例え歪んでも最後まで残るのは無形のものだと思うからです。例えば、ヒエログリフの文字が今でも口に出して話せることを知っていますか?大概の日本人は死語だから話せるはずがないと思っている。しかしギリシャ人はヒエログリフの音をギリシャ文字に変えました。それがコプト語です。キリスト教文化に混じって細々とですが、音は現代まで残されました。ギリシャ語の音がある、コプト語の音がある、ロゼッタ・ストーンがある、そうすればヒエログリフは口に出して読めるんです。そういう考えの道筋を、現在の日本人はつけることができていないと思います。いろいろな思い込みを壊して本当の学問に目覚めてほしいと思いますね。

―― サイバー大学と世界遺産検定の提携に期待 ――

目黒:サイバー大学の世界遺産学部は、どのような経緯で開設されたんですか。

吉村:サイバー大学を作ったのは、日本の大学教育を変えねばならないと危機感を持ったからです。考古学をはじめいろいろな分野の学問において教員にも授業にも質のばらつきがありすぎると感じます。学ぶ土台がしっかりしないと上に積んだ知識や経験がみな崩れ落ちてしまいます。

 僕は早稲田大学の教員時代に、全学部生が受講できる科目や、インターネットを使ったオンデマンド授業、パリのユネスコ関係者との交換の授業を実現してきました。そして、ある文明を理解するには他の文明と比較しなければいけないと考え、新しい学部を作ろうとしましたがうまく行きませんでした。それでサイバー大学に世界遺産学部を開設したんです。

目黒:今回サイバー大学と世界遺産検定が提携しましたが、何がこれからの課題で、どんなことに期待できると思いますか。

吉村:僕は、世界遺産を人類の財産として大事に思ってくれる人が好きです。そういった人たちに財産を護ろうという高い志を持ってほしいと思っています。世界遺産検定は、試験を意識することによって世界遺産の知識をたくさん身につけようというものですよね。まずこれがメジャーになって、「世界遺産好き」のすそ野が広がったのは嬉しいことです。でも僕は知識も必要だけど、それだけでは十分じゃないと思っています。より深く、古代の建築物を作った人の思考や、社会環境などを理解することも重要だと考えます。
僕はクフ王ピラミッドの高さが14分の1スケールのものを砂地に作ったことがありますが、それだけ小さくても2年かかりました。それを古代では、14倍の大きさで作った。伊達や酔狂では作れませんよね。どうしても作りたかったその人の思考や取り巻く社会的環境まで考えてほしいということです。

目黒:世界遺産アカデミーとしても、検定は主に、今まで関心がなかった人が世界の文化に興味を持ってくれるための入り口という位置づけです。そこから世界が深まり広がっていく。世界遺産は現在878件。広い世界で、必ずその中には好きなものがあるはずだから、学びのきっかけになるといいですね。提携によってサイバー大学が身近になり、もっと専門的に勉強したくなった時に受検者がすぐコンタクトできるようになるのではないでしょうか。

吉村:そうですね、相互補完する関係になることを期待します。知識が無くても学問を始めることはできますし、サイバー大学はそういう学生も受け入れていますが、知識がある程度あった方が、圧倒的に早く自分の目的に近づけるのも事実です。

目黒:検定の最上級であるマイスターの試験は論文形式で、それこそマークシートで答えられないような世界遺産の当時の背景や、それに込められた想いなどをどれほど理解しているか確かめることができるものと言えます。

吉村:私は世界遺産検定とサイバー大学の学問を3階建てで考えています。1階は知識だけをマークシートで問う世界遺産検定で、2階はその中で好きな地域や部分を取り出して学べる今のサイバー大学の授業。3階は例えば世界遺産アカデミーに協力を仰ぎ、大学院を創設するなどして、世界遺産が作られた当時の社会環境や込められた意味合い、形になっていない文化のつながりや人々の想いなどを、互いに議論しあってより深く学び、どんな好奇心にも対応できるようにしたらいいのではないかと。そしてその無形部分の理解の程度を測れるのがマイスター級、という感じです。今の1級とマイスターの間には随分差がある気がしますから。

目黒:まだまだ課題はありますが、「人類の宝」の価値を理解して、次世代に伝えていく人が少しでも増えるように尽力したいですね。本日はありがとうございました。

text by 横河麻弥子

プロフィール
吉村 作治(よしむら さくじ)さん

サイバー大学学長(工学博士)。
世界遺産アカデミー理事。
早稲田大学第一文学部卒。
66年、アジア初の早大エジプト調査隊を組織し現地に赴いて以来40年以上にわたり発掘調査を継続、数々の発見により国際的評価を得る。
最近では、05年、07年に完全未盗掘木棺を発見し、世界的にニュースとなった。07年より現職。著書に『エジプト考古学者の独言-週刊作治‐』、『ミイラ発見!!-私のエジプト発掘物語-』ほか多数。

公式HP:「吉村作治の吉村作治のエジプトピア」
http://www.egypt.co.jp
サイバー大学HP
http://www.cyber-u.ac.jp/

プロフィール
目黒 正武(めぐろ まさたけ)さん

NPO法人 世界遺産アカデミー 主任研究員。
明治大学商学部卒。
旅行会社に就職し、国内外の多数の世界遺産現地経験を積んだ後、2005年より現職。
著書に『世界遺産検定公式問題&解説2007年版』、『世界遺産検定公式基礎ガイド2008年版』(いずれもマイナビ刊)ほか。