第6回 有馬 朗人さん 武蔵学園 学園長
「多彩な経歴訪れた地は数知れず」
―― 豊富な海外経験をお持ちです。俳人として、物理学者として、そして、文部大臣も経験されて、世界遺産との関わりも深いと伺いました。
世界遺産の登録数は、現在、およそ900弱だそうですね。そのうちの何カ所を直接見ることができたでしょうか。数えたことはありませんが、公私さまざまな機会で訪れています。
すぐに思い浮かぶのは、昨年の春に訪れた、スコットランド南東部の「エディンバラ」 です。ここは1707年までの独立王国の首都であった場所。整然とした街並み、バグパイプ吹きの賑やかな演奏、そして何と言っても、丘の上に建つ街のシンボル、エディンバラ城が本当に美しい。この街は東京大学とも縁のある地です。エディンバラ大学を卒業したJ・A・ユーイング氏は1870年代に来日し、東京大学の物理学教室の基礎を築いてくれた人で、後にエディンバラ大学の副学長になりました。私自身も(東大の総長をしたことから)この地には縁を感じていました。
それから、フランスでは「モン・サン・ミシェル」と「シャルトルの大聖堂」が好きで、2度、3度と足を運んでいます。特に、後者は仏ゴシック様式の最高建築であり、聖堂内を飾るステンドグラスは、星屑が散りばめられているのかと見紛う美しさです。大佛次郎の『パリ燃ゆ』にも、この聖堂を見事に描写した記述がありますね。私が最初に訪れたのは1970年、フランスの原子力委員会から招待されたのがきっかけでしたが、いまでもその時の感動を忘れていません。
―― 文部大臣時代(1998年7月から、1999年10月まで)はスケジュールが過密で、海外へ出ることもままならなかったようですが。
審議会や委員会が常に組まれている状態でしたから、この間の渡航回数はごくわずかでした。
大臣時代でよく覚えているのは、イギリスのサリー大学が私に名誉博士号を授与してくれるという話が舞い込んだことです。私はもちろん、受け取りに行きたかったのですが、大臣の公務が多忙を極めていたため、周囲からは辞退して欲しい、と言われていました。でも私は「大変名誉なことだ、イギリスに行けないくらいなら、大臣を辞めてやる」と言い放っていた(笑)。結局、サルズベリー・科学担当大臣と会合をするという公務を兼ねる形で、なんとか行かせてもらうことができたのです。
その際に、空き時間を利用して向かったのが「カンタベリー大聖堂」。イングランド南東部にある、英国国教会の総本山です。実は、私とカンタベリーとの"付き合い"は古く、高等学校時代、英語で本を読みたいと考え、たまたま手にしたのが『カンタベリー物語』でした。カンタベリー大聖堂に向かう巡礼者たちが、道中で語った話を収めた物語で、読後、行ってみたいと思い続けながらもなかなか叶わず、それがこの時、やっと実現したわけです。立派な大聖堂だと思いましたね。物語を思い出しながら、巡礼者が歩いた道を辿ってみたり。写真などでは見慣れた景色でしたが、実際に訪れると、歴史の重みの伝わり方が全然違うものでした。
―― 国際俳句交流協会の会長も務められています。海外の情景を詠むことも多いとのことですが、世界遺産を題材にした句も?
「負の遺産」の価値とは
―― 世界遺産条約を採択した国連教育科学文化機関(ユネスコ)。ユネスコの松浦晃一郎・事務局長と親しくされているそうですね。
松浦さんとは良いお付き合いをさせていただいており、おかげで数多くの素晴らしい体験をさせていただきました。
そもそものお付き合いのきっかけは1999年。当時、駐仏大使だった松浦さんは、小渕恵三元首相の下、ユネスコの事務局長選挙に出馬することになりました。文部大臣だった私にも、「各国を巡って、松浦さんへの支持を取り付けるサポートをしてくれないか」という要請があり、フランスのアレーグル国民教育・研究・技術相始め、ドイツやイギリスなど五カ国の閣僚と会談しました。どれほどお役に立てたか分かりませんけれど、松浦さんは見事当選を果たされた。
2000年には松浦さんが先頭に立ってセネガルの首都ダカールで実施された「エデュケーション・フォー・オール(万人のための教育)」の世界教育フォーラムにも参加させていただきました。その地で見たのは、「負の遺産」である「ゴレ島」でした。ダカールの沖合に浮かぶこの島は、植民地時代から欧州列強による奴隷貿易の基地とされた場所です。現在は観光地になっていますが、奴隷が収容されていた残酷な過去を物語る施設がいくつも残されています。
世界遺産には、ポーランド南部のアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所や、広島平和記念碑(原爆ドーム)など、人類の悲しい歴史の爪痕が「負の遺産」として登録されています。輝かしい歴史のみならず、闇の部分もクローズアップすることはとても重要なことなのです。
―― 原爆ドームについては、1996年の世界遺産登録に際し、ご自身も尽力されました。
1994年から1995年にかけて、当時の広島市長や、ご自身が被爆体験をお持ちの平山郁夫・東京芸術大学学長が中心となって推進委員会を構成し、世界遺産への登録を働きかける運動が行われました。私もその一員としてお手伝いさせていただいたのです。
「負の遺産」は、なにか立派な建造物であるわけでもなければ、景観が取り立てて美しいわけでもありません。ですから、一部には「なぜ、こんなものを世界遺産に推薦するのか」という意見があったことは事実です。ただ、人間の犯した過ちを直視し、二度と繰り返さないよう後世に伝えるためにも、これらを残すことは非常に高い教育的価値がある、ということを私たちは主張したのです。
知識が連鎖していく学習を
―― 高校や大学受検であれほど必死に歴史を勉強したにもかかわらず、その知識がすっかり抜け落ちてしまったという社会人も多いと思います。
詰め込み教育の弊害と言えるかもしれませんね。ただ、一度勉強したことは決して無駄にはなりません。社会に出てから世界遺産を訪れたり、あるいは、もう一度歴史を勉強し直す時に、過去に蓄積した知識は、必ず活きてくるはずです。
学習の面から見て、この検定試験を利用することには、4つの効用があると私は考えます。1つ目はポジティブな意味で、歴史上における、人間の偉大さに触れることができること。過去において、人間がどれほど素晴らしい建物を築いてきたか、秀でた技術を有していたか、知ることができるのです。2つ目はその反対で、負の遺産を見ることで、いかに人間が残酷であったかに気付けること。3つ目はホンジュラスやグアマテラなど、現在は経済的に後進国に分類される国々にも、かつては偉大なる文明があったことが分かること。4つ目は単純に、観光が一層楽しくなることです。世界遺産について学び、その地の背景知識を持てば、海外への旅行がより充実したものになるでしょう。
―― 世界遺産検定は、来年、従来の最下級であった3級(高校レベル)の下に4級を設け、小・中学生にもチャレンジして欲しいと考えていますが、学校教育の中で世界遺産を学ぶ意義や教師にとって伝える必要性はどのようにお考えですか。
小・中学生の教育現場で、この世界遺産を題材にした学習を導入することは非常に意義のあることだと考えます。例えば、社会科や総合学習の時間にこの検定試験を取り入れてみたらどうでしょう。「古都奈良の文化財」が世界遺産だということを学ぶ時に、では「奈良の大仏は世界遺産なのに、富士山はなぜ、登録されていないのか」「平泉はどうして登録が延期になっているのか」というように、知識をつなげていくわけです。そのことで、世界が日本をどのように見て、この国のどこを評価しているのかということも、客観的に分かるようになるでしょう。
また、世界遺産は文学の題材になっているものも多いですから、ここから読書の世界へつなげることも可能でしょう。私が「カンタベリー」で味わったように、物語のなかで描かれた遺産が目の前に表れたときの感動は、人生の宝になると思います。
―― 世界遺産アカデミーの理事に内定されました。検定受検者やアカデミー会員にメッセージを。
プロフィール
有馬 朗人(ありま あきと)さん