【探究課題】「危機遺産」を例に持続可能な社会を実現するための方法を考えよう

世界遺産×SDGsチャレンジ!2024年度の探究課題の一つ「「危機遺産*¹」を例に持続可能な社会を実現するための方法を考えよう」について、國學院大學 観光まちづくり学部長の西村教授にお話を伺いました。記事を読み、課題解決策を考えてください。

國學院大學 観光まちづくり学部長

元ICOMOS執行委員・副会長
元日本イコモス国内委員会委員長
西村 幸夫 教授

—— 西村先生の研究分野について教えてください。

 私は都市計画が元々の専門でした。その中でも、都市の今ある文化と歴史の資産を活かした都市計画を主に研究しており、日本の各地の街並み保存や裾野を広げるような運動を行っていました。ですので、世界遺産は直接的な専門分野ではありませんでした。

 しかし、歴史的な都市を守る研究や活動を続けていくうちに、多くの歴史的都市の関係者とさまざまな場所で付き合いが深まっていきました。同時にICOMOS(イコモス)*²に誘われたことをきっかけに、海外でも歴史都市の保存や問題に関わるようになり、それから世界遺産に入っていきました。そして今もその活動をずっと続けています。

—— 先生はICOMOS(イコモス)や日本イコモス国内委員会に在籍されていましたが、どのような活動をされていたか教えてください。

 私は執行委員を2期、そして最後の1期は副会長を務めました。基本的には3年に1度開催される総会の企画や運営を担当したり、専門家グループの対応を行ったりしていました。また一方で、ICOMOSとして世界遺産の審査に9年間ずっと関わっていました。

 現在は少し仕組みが変わっていますが、当時はICOMOSの執行委員会がそのまま審査委員会を兼ねていたので、各国から上がってくる推薦書の精査や専門家への評価依頼などを行っていました。最終的に私たち執行委員会と専門家グループすべてのレポートを集計し、各国から提出された推薦書に対して、ICOMOSからの評価を決定する会議を毎年実施していました。当時は各国からの提出上限がなかったので、毎年50から60程度の審査を行っていたのはとても大変でしたね。

1994年頃のイコモスの執行委員会での世界遺産推薦書の審査の様子

—— 当時印象的だった世界遺産はありますか?

日本で初めて文化的景観が認められた「紀伊山地の霊場と参詣道」登録基準:②③④⑥

 「紀伊山地の霊場と参詣道」は特に印象に残っています。紀伊山地の霊場と参詣道は構成資産が多いので、日光の社寺や厳島神社などに比べると世界遺産の価値が伝わりにくいかもしれないと心配していましたが、ちょうどその頃に“文化的景観*³”という考え方が生まれてきていました。欧米の人たちが“文化的景観”を捉える一つの事例として、彼らにもその価値がスッと入っていく様子を見ていて、「なるほど、こういうのも通じるんだ」と感じた部分がとても印象深く、思い出として残っています。

 また紀伊山地を英語で表記すると“Kii Mountain Range”となり、特に“紀伊“(Kii)というつづりは英語にないので、彼らは全然発音できなかったんです。「これはなんて発音するのか?」と聞かれたのはよく覚えています。

—— 危機遺産に関わったご経験はありますか?そのときの様子をお聞かせください。

 問題を抱えた文化遺産をどのように対処するか、また危機遺産リスト入りした遺産に対して国際的な運営委員会を設置するなど、そういった場面でよく関わっていました。

 私が今まで一番多く関わっているのは、ルンビニやカトマンズのネパールの世界遺産です。たとえばカトマンズは、急速な開発による景観悪化が原因で危機遺産に指定されました。私たちは国際科学委員会を設置し、危機遺産から脱するためにどうするべきか、また危機を脱した後、どのように保護・保全活動を続けたらいいのか話し合いました。そして開発と保全についてある程度見通しが立ち、カトマンズは危機遺産から除外されました。私は今も国際委員の1人として、毎年集まって保全状態のチェックをしています。

 ネパールのカトマンズが代表的な例ですが、都市部でいろいろな開発が始まり、それをコントロールする力が弱いと、なし崩し的に色々なものが壊れていってしまいます。「開発と保全」のバランスについては、世界のさまざまな場所でそういった問題が起きています。

—— 西村先生の考える危機遺産について教えてください。

 世界遺産条約の理念が誕生したきっかけを考えると、危機的にある遺産をその国の人だけで守るのではなく、人類共通の宝だからみんなで守ろうという考えから始まっています。つまり、危機遺産のようなものが世界遺産の出発点だと思います。しかし、現在では新規登録に関心が向き、危機遺産に注目が集まっていません。むしろ危機遺産は、それぞれの国の恥として捉えられている部分もあります。世界遺産委員会でも、危機遺産をなくすための議論や新規登録の物件が危機遺産にならないように保存状態をチェックしていますが、ほとんど報道されていません。

 一般的な考えでは、ある国や地域の遺産は各自責任を持って守ることになりますが、世界遺産はそれを超えて、世界の宝としてみんなで守り継いでいくものです。したがって、保有国以外の国も世界遺産の状態をチェックしますし、保有国は他の国に対して“ここまでやりました。”というのをレポートする責任がある仕組みになっています。だからこそ、危機遺産は世界遺産の一番のベースになっていると思います。

—— 高校生・中学生へのメッセージをお願いします。

 文化遺産に限っても政治や経済上の問題など、いろいろな要因で危機遺産が生まれています。危機遺産を通じて、これらの問題をきちんと考えることで、世界にはさまざまな状況の異なる社会があり、それを抱えた状態で動いている事実を学ぶことができます。

 一方で、過去に建造された遺産を頑張って守ろうという人たちがいます。彼ら・彼女らの活動をきちんと見守って、そこから学んだり、自分たちにできることは何か考えるきっかけにつながります。

 また、世界遺産とはスケールが異なるけれども、同じような問題は身の回りでも起きています。特別な場所の特別な世界の問題ではなく、いま身の回りにある文化的、歴史的な遺産の価値が我々に伝わっているのか、いまの保全方法で良いのか問い直すという感性を持つことが大切ではないかと思います。

 

 

【注釈】

*1 危機遺産
世界遺産としての価値が、自然災害や密猟・外来種による生態系の悪化、宗教対立、民族紛争、戦争など、重大かつ明らかな危機に直面している場合、その遺産は「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に記載される。そうした遺産は「危機遺産」と呼ばれ、近年では過度の観光化や都市開発なども大きな危機となっている。

*2 ICOMOS(イコモス)
本部をフランスのパリにおくNGO(非政府組織)で1965年に設立された。文化財の保存方法に詳しい専門家や団体で構成され、世界遺産委員会には諮問機関として参加する。

*3 文化的景観
人類が長い時間をかけて自然とともにつくり上げた景観や、自然の要素が人間の文化と強く結びついた景観。文化遺産に分類される。文化的景観は、人間の文化や社会、その景観などが周囲の自然環境や気候風土と切り離すことができないという考えに基づいており、「文化と自然をひとつの条約で守る」という世界遺産条約の理念によく沿った概念といえる。