■ 研究員ブログ157 ■ ノートル・ダム大聖堂の再建で真正性はどうなる?

大変なのはここからです。エマニュエル・マクロン大統領は、5年後の2024年にパリで開催されるオリンピックまでに再建すると宣言しましたが、かなり難しいのではないかと思います。どのような方法やデザインでどの業者が再建するのかだけでなく、「再建」は何を意味するのかというところから始めなければならないからです。

ノートル・ダム大聖堂は、1163年に教皇アレクサンドル3世が礎石を置いたところから歴史が始まります。正面の2つの塔が完成するのはそこから100年近く経った1250年です。その後も建設が進められ尖塔が作られたのが15世紀半ばのこと。この頃はルネサンス期だったので、その前の時代のゴシック建築は野蛮なデザインと考えられていて、ゴシックの要素が取り除かれたりしました。

そして、1789年に始まったフランス革命では既存の権威や概念が否定され、ノートル・ダム大聖堂も破壊されてしまいます。聖遺物は盗まれ、王や聖人の像などは多くが首をはねられてしまいました。この時、尖塔も崩れ去っています。ナポレオンが皇帝として戴冠式を行った時には仮の修復が行われたような状態でした。その後はノートル・ダム大聖堂の撤去も検討されるほど荒廃してしまいます。

その荒廃したノートル・ダム大聖堂を再評価するきっかけになったのが、ヴィクトル・ユーゴーの小説「パリのノートル・ダム」です。ディズニーの映画『ノートルダムの鐘』の原作となった作品です。

その世論の高まりを受けて、1845年からノートル・ダム大聖堂の修復が始まりました。この一大プロジェクトを任されたのが、ヴィオレ・ル・デュクです。『カルカッソンヌの歴史的城塞都市』の修復も手がけた中世建築の専門家でした。

しかし彼の修復には問題がありました。ヴィオレ・ル・デュクは修復の際に、もともとの時代の歴史的・芸術的な価値を元通りに取り戻すことを目指しており、その建築様式の構造的にあるべきものが失われていた場合それを付け加えたり、逆に余計だと考えられるものを取り去ったりしたのです。

更に、ノートル・ダム大聖堂の修復に際しては、フランス革命で辛酸をなめたカトリック教会が、もう一度権威を取り戻したいという思いもありました。そのため、フランス革命で失われた尖塔がより高くなって再び取り付けられ、ガーゴイル(シメール)や元はなかった銅像、装飾などが付け加えられました。

今回の火災では、その時に再建された屋根や尖塔が焼け落ちてしまいました。では、これから始まる再建では、どの時代の何を目指すのでしょうか。そもそも過去のどこかを目指すのか、それとも新たなデザインで再建されるのか。この方針を決めるのは簡単ではありません。

基本的には、全体としての構造が残されており、13世紀に作られた2つの正面の塔も残されているので、屋根のデザインが変更されたところで「真正性」に大きな問題はないと思います。世界遺産として考えるなら、『パリのセーヌ河岸』の価値は、都市計画と都市全体の歴史的価値ですので、景観を破壊するような再建をしない限り、ノートル・ダム大聖堂単体での真正性が、世界遺産の価値に影響を与えることはありません。

だからと言って、ガラスのピラミッドを屋根の上に載せたりするのは、前回も書いたノートル・ダム大聖堂がもつ、フランス国民にとっての重要性を考えるとできないでしょうね。ルーヴル美術館の前に、ガラスのピラミッドを作るのとは意味が違うのです。

懸命な消火活動を行うだけでなく、機転を利かせて美術品などを守った消防士の方々に、本当に感謝しかありません。歴史的建造物や文化財の保護についてはまた考えたいと思います。

ノートル・ダム大聖堂はどのような美しい姿で、再び僕たちの前に現れるのでしょうか。今はそれだけが楽しみです。

(2019.04.19)