■ 研究員ブログ164 ■ 歴史は繰り返される?ペストと新型コロナウイルスへの対応

今年は早かった梅の花が散り始め、もう少しで桜の季節にという時期ですが、今年は花粉ではなく新型コロナウイルスが猛威を振るっていますね。新型コロナウイルスは、公衆衛生という点だけでなく、私たちの社会活動全体に大きな影響を与えるまでになっています。皆さんの体調はいかがでしょうか。国や自治体を中心に、感染拡大を防ぐ取り組みがなされていますが、今回は感染対策に関係する世界遺産を見てみたいと思います。

かつて世界を襲った感染症と言えば、中世のペスト(黒死病)があります。ヨーロッパでは1347年にシチリア島で感染が始まってから一気に拡大して、ヨーロッパの人口を約3割も減少させたとする病気です。ペストの被害が拡大した理由は様々なことが指摘されていて、魔女が連れている不吉な動物である猫を人々が殺したためにペスト菌を運ぶネズミが繁殖したという研究もあります。中でもやはり大きかったのは地中海を中心とする交易の拡大です。商人達は商品だけでなくネズミも一緒に運び、ペストの感染を拡大させていきました。

中世ヨーロッパの医師たちはペストが空気感染すると考えて、窓を閉め切って空気の入れ替えを遮断し、肌を空気にさらす入浴も禁じたそうです。ヨーロッパのお城によく残されている厚いタペストリーは、窓にかけて空気を遮断するのに使われました。ペスト医師のカラスの顔のようなマスクも、空気感染を防ぐためのものです。そうした考え方の中で出てきた感染対策が、感染者と感染が疑われる人の隔離です。

1374年にヴェネツィア共和国で、ペストが流行している地域からの船舶の入港を30日間押しとどめ、その間に感染者が出なければ入港できるようにする政策が採られ、1377年にはラグーサ共和国(現在のドゥブロヴニク)でも同様の政策が行われました。1383年に同様の政策が始まったマルセイユでは、入港停止の日数が40日間になりました。

また陸上の交易でも商品の移動を管理する検疫が行われるようになり、商人達は各都市が発行する「衛生通行証」を持ち歩くようになりました。この「衛生通行証」がパスポートの元になったというから、面白いですね。

こうした歴史を伝える資産が登録されている世界遺産が、クロアチアの『ドゥブロヴニクの旧市街』です。先述したようにドゥブロヴニクにはかつてラグーサ共和国がありました。交易で栄え城壁で囲まれたこの都市は、城壁で閉ざされているが故に、感染症が持ち込まれると大きな被害を受けるため、城壁の外に検疫所を兼ねた隔離施設「ラザレット」が1590年に築かれました。これは2度目のペストが猛威を振るっていた時期です。1390年には衛生局が設置され、近くの島に検疫所が作られていましたが、より都市の近くで検疫を行う必要性から城壁のすぐ外にラザレットが築かれたのです。ラザレットには商品を検疫するための5つの建物と、人を隔離するための5つの建物があり、ラグーサ共和国に入る人も商品も必ずここで検疫を受けました。またラザレットでの検疫は、1377年から続けられた30日間ではなく、マルセイユと同じ40日間に延ばされています。

この「40」という数字、ラグーサ共和国で使われていたイタリア語では「クアランタ(quaranta)」と言います。そして「検疫」はイタリア語で「クアランテーナ(quarantena)」、英語でも「クワランティーン(quarantine)」と言います。「検疫」の語源は、ペストの時期に各都市が行った隔離政策に由来しているんですね。

こうして見てみると、感染症の拡大予防が、パスポートや検疫などの行政的な進歩と関係していることが分かります。これは感染症の拡大予防とは別に、社会の治安維持や都市(国家)防衛などの側面が強いためです。フィレンツェで、人々が集まる修道士たちの公開説教を衛生官が禁止し、それに憤った教皇が衛生官を全員破門してしまったなんてことを聞くと、混乱ぶりがわかって笑いそうになりますが、笑ってはいけませんね。でも、クルーズ船対応や全国一斉の休校要請、イベントの中止要請などのニュースを見ていると、なんだか同じようなことを繰り返しているように感じてしまいます。

こんな状況でもトイレから手を洗わずに出ていく人を見ると心配になりますが、一人ひとりが衛生に気を付けて、免疫力を高め、生活を委縮させないでこの状況を乗り切れるとよいですね。少しでも早く収束することを願っています。

(2020.02.28)