■ 研究員ブログ168 ■ 新型コロナと魔女狩りとバンベルク。ダークサイドにはご注意!

雨が過ぎて風の匂いも秋らしくなってきました。大好きな秋が始まるのですが、今年はあんまり心躍らないですね。全て新型コロナウイルスの所為なのですが。家の外ではマスクをするという生活は、いつまで続くのでしょう。マスク着用を拒んだ人が飛行機から降ろされたり、それがニュースになったり、マスクだけがコロナ対策のアイコンになっているような気がしてちょっと嫌な感じがします。トイレから手を洗わずに出ていっても(ほんとに今でもいるんです!)、お店に入るときに消毒液を使っていなくても、その場であまり問題にならないのに、マスクだけはクレームが来たり白い目で見られたりする。それもマスクから鼻が出てたり、サイズが合っていなかったりするのは問題なくて、顔にマスク的なものがくっついていたらいいんです。こわいですね。

同じようにこわいのが新型コロナウイルス感染者へのイジメです。どんなに対策をしていても誰でも感染の可能性があるのに、感染者だけでなくその家族までがイジメにあったり村八分になったりするなんて、ちょっと異常です。そんなニュースを読んでいて思い出したのが、中世ヨーロッパの魔女狩りです。

15世紀頃から18世紀頃にかけて、ヨーロッパでは魔女とみなされた人物を迫害し、拷問や火あぶりなどの方法で処刑する魔女狩りが行われました。それにより、ヨーロッパ各地で女性を中心に数万人に及ぶ無実の市民が命を落としたのです。

魔女狩りが大々的に行われ始めた頃のヨーロッパでは、14世紀末から猛威をふるったペスト(黒死病)やペストにより閉塞した社会や生活への不安、そこに加わった自然災害や戦争などへの不満が、人々の間に渦巻いていました。一方で、人々の生活に大きな影響を与えていたカトリック教会は、権力が集中することにより腐敗も広がっていて、それに異論を唱えるものを「異端」として排除し弾圧することも日常でした。魔女も、カトリック教会から「異端」として弾圧される対象だったのです。ペストのような人々の理解を超える出来事は、カトリックの教えとは異なる「超自然的な力」が原因であると考えられました。魔女の扱う魔術は、中世ヨーロッパの反ユダヤ感情とも結びついてイメージが出来上がっていきました。

15世紀末に教皇イノケンティウス8世の下で、ドミニコ会の異端審問官のハインリヒ・クラーマーが『魔女に与える鉄槌』という書物を著し、異端の中でも特に魔女を厳しく糾弾し弾圧すべきであると、広く世間に印象づけます。そこには魔女を見分ける方法まで書いてありました。

激しい魔女狩りの歴史をもつ世界遺産がドイツの『バンベルクの旧市街』です。美しい中世の街並みが残るバンベルクですが、この街にも、ペストやその原因をユダヤ人に求める偏見により、多くの人々が命を落とす閉塞した社会状況がありました。1577年にバンベルク大司教になったヨハン・ゴットフリート1世と次の大司教ヨハン・ゲオルグ2世の下で大規模な魔女狩りが行われ、特にヨハン・ゲオルグ2世時代の1612年から1618年の6年間では、バンベルクだけで300人を超す人が処刑されたそうです。ヨハン・ゲオルグ2世に反対するバンベルク市長のヨハネス・ユニウスも、黒魔術の集会に参加した容疑で拷問にかけられ命を落としました。

魔女狩りは多くの場合、教会が主導した魔女裁判という一見合法的な手段で進められていきましたが、それをしっかりと支えていたのは一般の人々です。魔女狩りは、一般の人々の社会や生活に対する不安や不満のはけ口になっていただけでなく、魔女の公開処刑が娯楽のような側面すら持っていました。閉塞し鬱屈した社会状況では、親族や隣人まで密告するような常軌を逸した行動が起こりうるのです。

当時の社会状況と、現在の新型コロナウイルス下の社会状況は違いますが、人がダークサイドに落ちるのは案外あっけない些細なきっかけなのかもしれません。ナチス政権下などでもそうだったし。お互い気をつけたいですね、ほんとに。

(2020.09.14)