■ 研究員ブログ173 ■ 登録勧告!「北海道・北東北の縄文遺跡群」

今日、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)から「北海道・北東北の縄文遺跡群」に「登録」勧告が出されましたね! これで、7月16日から始まる世界遺産委員会では、日本から2件の新しい世界遺産が誕生する見込みです! 一年に2件の世界遺産が誕生するのは2011年に「平泉」と「小笠原諸島」が登録されて以来、10年ぶりです。そして現在では、一年に1件しか推薦できないので、今回のようなイレギュラーがない限り、今後もないことです。

これまた勧告の詳細を見ていないので、遺産の概要を見ていきたいと思います。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、北海道、青森県、秋田県、岩手県の4道県に点在する17の先史時代の遺跡で構成されるシリアル・ノミネーション・サイトです。この17資産で、紀元前13,000年頃から前400年頃の日本で、人々が採集や漁労、狩猟を行いながら定住した縄文時代の集落や生活、精神文化などを証明しています。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」では、縄文時代を「定住の開始」「定住の発展」「定住の成熟」の3つに分け、更にそれぞれを2つに分けた6つの時代区分に、17の構成資産を分類しています。

登録基準は、豊かな精神文化が育まれた縄文時代を証明する「時代の証明」の登録基準(iii)と、自然と共存しながら多様な定住生活を送った「土地・海上利用の証明」の登録基準(v)で推薦されています。縄文の文化という時代と、自然と共にあった独自の生活スタイルという価値を示すというのは納得です。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が推薦されたとき、日本中に縄文時代の遺跡があるのに、なぜ北海道と北東北の縄文遺跡だけが世界遺産候補になるのか、という疑問がよく出されました。

私たちは、「縄文時代」と聞くと、日本全国で共通する狩猟・採集文化があるようなイメージを持ちやすいですが、実際の縄文時代の文化は、一括りにするのは憚れるほど多様でした。それを大きく、西日本と東日本の縄文時代の文化に分けた東日本の中でも、大規模で共通の文化圏を持っていた「北海道・北東北」は保存状態もよく、拠点集落などを含む定住生活という価値を示しやすかったと言えます。日本全国の縄文時代の遺跡を登録しようとすると、「縄文時代」という時代の共通点はあるけれど、それ以外の共通する価値を示すことができないということです。

また縄文時代の遺跡で、日本の特別史跡になっているのは4件しかありませんが、そのうちの2件、青森県の「三内丸山遺跡」と秋田県の「大湯環状列石」がこの文化圏に含まれていることも大きな理由です。世界遺産に登録するためには、遺跡が残されており、法的にも保護されている必要があるからです。

この「北海道・北東北」に大規模集落が作られたのには理由があります。北海道と北東北の間にある津軽海峡は、暖流と寒流が交差する豊かな漁場でした。ここはサケやマスが大量に獲れるのですが、獲れる季節が限定されます。特定の季節にのみ爆発的に出現する食料を効率よく獲るためには大きな労働力が必要で、そのために大きな集落が形成されて行きました。気候が穏やかで一年中食料がある西日本で大規模な集落が作られなかったのと、その点が違うと考えられています。

エジプトで巨大なピラミッドを築く文明が栄えた時代に、日本では素朴な文化しか持たない縄文人が狩りや採集を行いながら細々と暮らしていたというイメージが、ナンセンスなものであることをこの遺産は教えてくれます。

定住がはじまった早い段階から墓地での埋葬を行い、祭祀や儀礼が行われたほか、クリの栽培なども行われていました。住居の柱の表面を焦がして腐りにくくする工夫もしています。また、小児麻痺と考えられる人が20歳近くまで生きることができる、社会福祉体制のようなものがあったり、発掘された骨の調査から、外傷が少ないため争いもあまりなかったと考えられています。

どうですか? 縄文時代のイメージがずいぶん変わりませんか?

今後は、地下にある遺跡から縄文時代をどのように伝えるのかという遺産価値を伝える方法や、大湯環状列石のように道路が遺跡の近くを通る遺産の保護の方法(道路の移設など)などを、整えてゆく必要があると思います。遮光器土偶などを見ても、縄文時代の文化はとても独特で興味深いので、多くの人に関心を持ってもらい理解が深まっていくとよいですね。

(2021.05.26)