ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手が、アメリカン・リーグのMVPを受賞されましたね! おめでとうございます!
今年はオリンピックもありましたが、何といっても大谷選手の一年でした。僕も普段は見ることのないメジャーリーグの試合を何度も見たくらいですから。大谷選手の現実離れした活躍ぶりに、「あれ? これって映画でも観てるんだっけ?」と頭が混乱してしまいました。こんなヒーロー現実にいるの? というのは、まるで伝説が一人歩きする源義経のようです。それもそのはず、大谷翔平選手の「翔」の字は、出身地である奥州に縁のある義経が軽々と跳ぶ姿をイメージしているそうです。そして「平」は、奥州の世界遺産「平泉」からとったんだとか。
源平合戦で活躍した義経は、鎌倉幕府を開いた兄の頼朝と仲たがいします。「船を八つも飛び移るなんてチャラチャラした戦い方して、目立ちすぎなんだよ!」などと頼朝が言ったかどうかは知りませんが、頼朝に追われた義経は、東北まで奥州藤原氏を頼りに逃げ延びてきます。その時に義経を匿ったのが、藤原秀衡でした。藤原清衡・基衡・秀衡の三代の下で栄えた平泉は、金と馬の産地として全国的にも有名な力のある都市だったので、頼朝も簡単には手が出せなかったのです。秀衡が京都の平等院鳳凰堂をまねて築いた無量光院は、本家を上回る大きさと豪華さだったほどですから、どれほど栄えていたのかが伺えます。
現在は、火災などで焼失してしまったため無量光院に建物は残っておらず、世界遺産にも「無量光院跡」として登録されています。無量光院の本堂は東を向いており、本堂の後ろには金鶏山があります。夕方に本堂の前に立つと、夕日が本堂の後ろの金鶏山の陰に沈んでいく設計になっていました。これは西方にある極楽浄土である、仏国土(浄土)を現世に表現する演出でした。「無量光」とは西方にいる「阿弥陀如来」を意味しています。
義経は、平泉の地で秀衡に匿われながら力を蓄えていましたが、秀衡がこの世を去ると、家を継いだ藤原泰衡は頼朝の威圧感に負けて、義経を追い詰め自害させてしまいます。それを聞いた頼朝は、褒めるどころか「なんでうちの弟を殺したんだ」と平泉に攻め入り、奥州藤原氏を滅ぼしてしまいました。なんて理不尽。
死んだはずの義経ですが、その後あちこちの伝説に登場します。北海道の蝦夷地にわたってアイヌの王になったとか、大陸にわたってチンギス・ハンになったとか。あと100年くらいしたら、海を渡って新大陸に行き野球選手になったなんて伝説になってるかもしれないですね。そんなことはないか。でも義経の絵を見ていると、刀がバットに見えなくもないのは、僕だけですか?
(2021.11.19)