■ 研究員ブログ200 ■ 映画「関心領域」あるいは 世界遺産の関心領域

『関心領域』公式サイトより(https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/


少し前のことですが、ジョナサン・グレイザー監督の映画『関心領域』を観てきました。人間の醜い部分を嫌というほど見せつけられるグロテスクな映画で、映画館内が明るくなり早く席を立って出ていきたいのに、しばらく立ち上がれないような作品でした。

知らなかったのですが、「関心領域」と訳される「The Zone of Interest」は、ドイツ語では「Interessengebiet」で、これは第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所で働くナチスの人々が暮らすために設けられた、収容所周辺40平方キロメートルのエリアを指すそうです。なぜそのエリアを「The Zone of Interest」と呼んでいたのかはわかりませんが、アウシュヴィッツ強制収容所と「利害関係のある領域」という意味だったのではないかと思います。

この映画の中では、その「The Zone of Interest」で暮らすアウシュヴィッツ強制収容所所長のルドルフ・ヘスとその家族が「関心をもっている領域」という2つの意味で用いられていたように感じました。もしかすると映画を観ている僕たちの「関心領域」もあるかもしれません。

映画では、アウシュヴィッツ強制収容所でのホロコーストの様子は描かれず、花が咲き誇り家族が楽しく過ごす壁の向こうから、昼夜を問わず機械の動く音や銃声、叫び声、泣き声、犬の吠える声などが聞こえ、煙突からは黒い煙がのぼっています。不協和音の低音や不自然な高音など、神経を逆なでされ不愉快で不安になる時間が続きます。これは実際のアウシュヴィッツ強制収容所の音をよく研究して再現しているそうです。

そんな環境で「普通」に生活するヘスとその家族。

ナチス・ドイツなどを語る時、「どこにでもいる普通の人が戦時下の特殊な状況に置かれたために戦争犯罪を犯してしまった。ナチス・ドイツの人々も私たちと同じ普通の人間だった。」という語りがあります。これは私たちも同じことをしてしまう可能性があるから、常に気をつけなければならないという教訓につながります。それもわかるのですが、あの状況下で「普通」に生活できてしまうのは、やはり「普通ではない」と思ってしまいます。少なくとも、ルドルフ・ヘスとその妻のヘートヴィヒは、塀の向こうに見えたり聞こえてくる異物を無理して遮断しているようには見えません。

映画内のポーランドの少女のようにナチス・ドイツに抵抗することはできなかったとしても、ヘートヴィヒの母のように居心地が悪くなり立ち去るというのが戦時下の状況に流された「普通の人」のように思います。誰だってあの場所にいたらルドルフ・ヘスやヘートヴィヒのようになり得る、なんてことはないはずです。それこそナチス・ドイツの犯した罪を矮小化してしまいます。

ナチス・ドイツがホロコーストを行っていたアウシュヴィッツ強制収容所は、皆さんもご存じの通り世界遺産に登録されています。人類が犯した非人道的な罪を記憶にとどめ教訓とするための遺産と考えられています。しかし、こうした「負の側面をもつ遺産」というのは過去の話ではありません。同じ地平上に僕たちはいるのです。

ヘートヴィヒと同じように虐殺そのものを見ていなかった、その場にいなかったとしても、さまざまなニュースの情報や映像で僕たちの耳や目に、現在も続いている世界各地のジェノサイドや非人道的な行為が入ってきます。塀の向こうから聞こえてくるように。いや虐殺じゃなくても、地球温暖化や海洋汚染、プラスチックごみなど、今のままだと問題があるとわかっていながら目の前の快適さを求めてしまうのも同じことだと思います。

アンドレイ・タルコフスキーの1972年の映画『惑星ソラリス』で、話の流れに関係なく突然画面の外から水滴が流れてきてびしょ濡れになるシーンがあります。あの雨にはさまざまな解釈があるのでしょうが、僕には映画のフレームの外にも世界があるということを感じさせるものでした。

世界遺産に登録されている遺産は、どうしても美しい点、素晴らしい点ばかりが強調されがちです。美しいから守らなければならない、素晴らしいから伝えていかなければならない。確かにその方がポジティヴなメッセージとしてよいと思うのですが、その遺産がもつ影の部分や現在抱えている問題点、課題など、世界遺産として僕たちが見ているフレームの外側に意識を広げなければ世界遺産活動の本当の目的は達成できないと僕は思っています。

映画『関心領域』は、非常に恐ろしく居心地の悪い映画ですが、ぜひ映画館で観てもらいたいと思います。この映画には、世界遺産に関心がある僕たちだからこそ感じたり考えたりすることがあるはずです。そして、ぜひ感想を聞かせてもらいたいです。

※ネタバレにならないように気を付けたのですが、ネタバレになってしまっていたらごめんなさい。

(2024.06.17)