ブルガリアのソフィア郊外にある『ボヤナの教会』の壁画(© NICM – Ministry of Culture)
ここのところ、シャツ一枚で過ごせるような陽気の翌日には雪が降って梅の花に白く雪が積もったり、春らしいと言えば春らしいのですが、なんだか変な天候が続いていますね。そこにスギ花粉もしっかり飛んでいて、この季節は体調管理が大変です。
先日、2026年の世界遺産委員会に向けて、日本から「飛鳥・藤原の宮都」の推薦書が提出されたことが話題になりました。今年、2025年の世界遺産委員会で新規登録に向けた審議が行われる日本の遺産はないため、今年の世界遺産委員会の注目度は少し低いように感じるのですが、今年の世界遺産委員会に関しても動きがありました。
今年(2025年)の第47回世界遺産委員会は、ブルガリア共和国のソフィアで7月6日(日)から16日(水)まで開催されることが決まっていました。
しかし、昨日(3月5日)に世界遺産委員会のビューロー会議が開催され、ブルガリアからの要請による会場変更に関する議論が行われて、今年の世界遺産委員会はパリのユネスコ本部に会場が変更されることに決まりました。
これは世界遺産委員会の手続き規則に則ったもので、そこでは日程と会場の変更が必要な場合は、ビューロー会議がユネスコ事務局長と協議の上で変更することができるとされています。
一方で、手続き規則の中には議長国(議長)の変更については定められていません。今回については、ブルガリア側で国際会議の受け入れ態勢が整っていないことが会場変更の理由のため、会場変更だけで議長はブルガリアのニコライ・ネノフ博士がそのまま務められます。その点が、2022年にロシアのカザンで開催予定だった第45回世界遺産委員会で会場変更と議長の変更が問題となった時とは異なっています。
議長を務められるニコライ・ネノフ博士はルセ地方歴史博物館の館長で民俗学・博物館学の教授でもある方です。(経済学者と書かれていることがありますが、それは別の方のようです。)
報道によると、ブルガリアでの世界遺産委員会開催を受け入れたのは当時の暫定内閣で、そこから準備が適切に進められておらず、2024年10月の選挙を受けて2025年1月に発足した新内閣によって、世界遺産委員会の受け入れ断念が決定されました。ソフィアで世界遺産委員会が開催されれば、1985年に同じくソフィアで第23回ユネスコ総会が開催されて以来のユネスコ関連の国際会議になるはずでした。
世界遺産委員会レヴェルの国際会議となると5,000人近くの参加者が訪れるため、会場や宿泊施設などの受け入れ態勢を整えるのが大変です。当然それに伴い莫大な費用がかかってきます。そのため、最近では世界遺産委員会の最終日に次の開催地が決まらないということが起こっています。第41回のクラクフの時も次が決まらなかったし、第45回の時も会期中にはインドに決定しませんでした。世界遺産委員会は議題を分けたり事前実務者協議を入れるなどして、会議自体をスリム化させる必要がある気がします。
因みに、2021年の第44回世界遺産委員会が開催された中国の福州がある福建省は、習近平国家主席が省長を務めた場所で、国家として国際会議を盛り上げていく思い入れを感じますね。
今回のように会場が変更した例としては、バーレーン騒乱などの政情不安のためにパリのユネスコ本部に変更された2011年の第35回世界遺産委員会があります。この時も議長国はバーレーンのままで開催されました。また先述の第45回世界遺産委員会もロシアのカザンからサウジアラビアのリヤドに変更になりました。この時は、ロシアのウクライナ侵攻が理由だったため議長国も変更となっています。
珍しいものとしては、世界遺産委員会の会期中にクーデターが起こった2016年の第40回世界遺産委員会です。トルコのイスタンブルでの委員会が会期途中で中断となり、3か月後にパリのユネスコ本部に会場を移して再開されました。この時も議長国はトルコのままでした。
こうしてみると、国際会議を開催するって本当に大変なことなんですね。
今年の世界遺産委員会では、日本から新しい世界遺産が誕生しないためあまり注目されていないですが、ぜひ多くの人が関わって作り上げている世界遺産委員会に注目してみてください。世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局でも積極的に情報発信をしていきたいと思います。
(2025.03.06)
<関連記事>
■ 研究員ブログ184 ■ 第45回世界遺産委員会の開催地はどうなる!?
■ 研究員ブログ24 ■ BIENVENU! 世界遺産委員会!