先日、アメリカとフランスの間で『自由の女神像』が話題になっていましたね。出来事を意訳すると、かつては自由の価値観を共有していたフランスとアメリカの間に溝ができつつあるのではないか、というものです。
ご存じの通り、ニューヨーク湾のリバティ島に立つ『自由の女神像』はアメリカ合衆国独立100周年を記念してフランスから贈られました。この像が建てられた背景にはどんな歴史があるのでしょうか。
19世紀末、多くの移民が「新大陸」と呼ばれた現在の南北アメリカ大陸を目指しました。長く厳しい航海をしてきた彼らが最初に目にしたのが、ニューヨーク湾に立つ『自由の女神像』です。その姿を見てほっと安心し、これから始まる新大陸での自由な日々への思いを強くした、まさに自由と平等のシンボルでした。
そこから遡ること3世紀あまり。西ヨーロッパ諸国が次々と植民地を築いていった16世紀半ば頃のイギリスでは、女王エリザベス1世が新しいキリスト教の教会であるイギリス国教会を立ち上げ、宗教改革を主張するピューリタン(清教徒)を弾圧して、彼らと激しく対立しました。
そうした国王が支配する古い社会体制やしがらみを嫌い、信仰の自由を求めてメイフラワー号で新大陸に渡ったピューリタン達(ピルグリム・ファーザーズ)が築いたのが、現在のアメリカ合衆国の始まりです。その後、自由を求めた多くの人々が移り住み、北アメリカは自由の大地として自主独立の精神を育んでいきました。
しかし、そうした自由な気運は本国イギリスとの関係を悪化させ、1775年にとうとう独立戦争が始まります。そこでアメリカの独立を支援したのが、イギリスと植民地問題で対立していたフランスでした。1776年7月4日にトマス・ジェファソンらが起草した「アメリカ独立宣言」が、当時のフランスなどで流行していた啓蒙思想と通じるものがあったという点も重要なポイントです。そして、フランスの協力などを得ながら、1783年についにアメリカ合衆国は正式に独立を果たします。
フランスの政治家であったエドゥアール・ドゥ・ラブライエが、アメリカ合衆国独立100周年の記念碑を贈ることを計画した背景には、合衆国誕生にまつわるこうした歴史がありました。
因みに、フランスで積極的にアメリカ合衆国独立に力を貸したのが、1774年に即位したルイ16世、あのマリー・アントワネットの夫です。もともと厳しい状況にあったフランス王国の財政が、この参戦によって決定的に悪化し、それがフランス革命につながっていったのは皮肉なことに思えます。
今回の出来事は、フランスから選出された欧州議会のラファエル・グリュックスマン議員が、政治集会で支持者に対して「自由の女神像を返して欲しい! とまず言いたい。」と発言したことに対して、アメリカのレビット大統領報道官が「フランス人がドイツ語ではなくフランス語を今も話していられるのはアメリカのおかげだと、名前も知らないフランスのレヴェルの低い議員に言いたい」と返したものですが、わざわざ報道するほどの内容ではない気がします。
グリュックスマン議員は支持者に対して、「自由を蔑ろにするのだったら、自由の女神像を返して欲しいと言いたい」と、いかにもフランス人らしいジョークに乗せて言っているだけだし、レビット大統領報道官も、本人は気の利いた冗談で返したつもりが何のひねりもない悪口になっていただけ、ということのように思います。
そもそも、グリュックスマン議員の発言を「フランスの議員が自由の女神像の返還を求めました」と、まるで正式に求めているかのように報道することがおかしい気がします。
西欧諸国とアメリカが対立しても、ウクライナやガザの問題だけでなく地球環境や世界遺産も含めて、何一つよいことはないので、互いに冷静に大人の対応をしていってもらいたいと、本当に思います。
(2025.03.21)