奈良の東大寺の大仏と関係があるといわれる、アフガニスタンの大仏を知っているでしょうか? 今回は日本とも関わりの深いアフガニスタンの文化遺産について紹介したいと思います。
皆さんもご存じのように、アフガニスタンでは8月中旬にイスラム主義の武装勢力タリバンが政権を握りました。ニュースでは日々、現地の緊迫した情勢が伝えられています。
こうしたなか、アフガニスタンの文化遺産の魅力を伝える展覧会が東京で開催されました。「みろく ―終わりの彼方 弥勒の世界―」(東京藝術大学美術館、2021年9月11日~10月10日)です。この展覧会の主役は、世界遺産『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』にある石窟の天井壁画《青の弥勒》を原寸大復元した作品です。これは2001年にタリバンが、バーミヤンの2体の磨崖仏(まがいぶつ)を爆破した際に、同時に破壊したものでした。
この《青の弥勒》の紹介をする前に、アフガニスタンの世界遺産『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』について簡単にふりかえっておきましょう。バーミヤンの遺跡群には主に4~8世紀頃にかけて築かれた約800の石窟遺跡が残っています。「みろく」展の会場ではバーミヤン渓谷を空から見た映像がスクリーンに投影されていました。巨大な自然の岩壁にひとの手によって掘られた数多くの石窟は、それだけで強く心に訴えかけるものがありました。
バーミヤン遺跡のなかで最も有名なのが、2001年にタリバンによって爆破された5~6世紀建立と伝わる二つの磨崖仏(まがいぶつ)でしょう。磨崖仏とは、自然の岩壁に彫刻された仏像や菩薩像のことです。西の大仏はがっしりしており高さが55mあり、現地ではパーダル(父)と呼ばれていました。そこから800mほど離れた場所にあったのが、高さ38mの東の大仏です。こちらはマーダル(母)と呼ばれていました。
じつはこの大仏は日本にもゆかりが深いものだと、展覧会を企画した東京藝術大学の井上隆史特任教授が教えてくれました。「シルクロードを旅した玄奘(げんじょう)は、7世紀にバーミヤンを訪れた時にこの大仏を見ています。彼が書いた『大唐西域記(だいとうさいいきき)』には、バーミヤンの2体の大仏は黄金に輝いていたとあります。遣唐使として唐で学んだ者がその話を日本に伝え、それを聖武天皇が聞いて8世紀(743年)に大仏を東大寺に建立したと私たちは考えています」。古代のシルクロードを介してバーミヤンの磨崖仏と奈良の大仏がつながっていた。考えただけでもワクワクするような話ですね。
さて、《青の弥勒》の紹介に移りたいと思います。こちらは東の磨崖仏の西側にあったE窟と呼ばれる石窟に、7世紀中頃に描かれたという壁画です。この石窟には端正な姿の坐仏もありました。《青の弥勒》はその坐仏の天蓋をかざっていましたが、2001年に坐仏とともにタリバンによって爆破されてしまいました。《青の弥勒》の背景の青色は、アフガニスタン特産の鉱石ラピスラズリをふんだんに使っており、今回の復元でもラピスラズリの絵の具が使われています。近くで見ても細部までしっかりと復元されていて、まるで本物のようでした。
この《青の弥勒》は東京藝術大学が開発を進めるスーパークローンという技術によって復元されました。京都大学などの調査隊が1970年代に撮影した写真を集め、高精細の画像データを作成して、そこから3D復元していきました。
バーミヤンの遺跡群が世界遺産に登録されたポイントの1つとしてあげられるのが、ギリシャやペルシア、インドなどの文化・芸術が融合してガンダーラ美術へと変わっていく姿が見られることです。それがはっきりとわかるのが壁画です。《青の弥勒》にもガンダーラ美術の影響は見られます。
弥勒とは、ブッダが亡くなった(入滅)後の56億7,000万年後に人々の救済に降り立つとされるガンダーラ文化圏で生まれた仏教の仏ですが、《青の弥勒》の左右に描かれた柱は“ヘレニズム様式の柱”です。さらに、東京藝術大学が《青の弥勒》の前に復元した東の磨崖仏の天井壁画には、4頭の白馬に引かれた戦車に乗るゾロアスター教の太陽神「ミスラ」やギリシャの女神「アテナ」の兜をかぶり楯をもつ姿が描かれています。
「バーミヤンの巨大な仏像の上の壁画には、ゾロアスター教や古代ギリシャの神々が描かれていました。この時代には異なる宗教が寛容に受け入れられ共存していた証拠です」と井上隆史特任教授は話します。「そのことを示す貴重な仏像や壁画の多くがタリバンによって2001年に破壊されてしまいました。それらを復元して人々に見てもらうことは非常に大きな意味があると思います」。
バーミヤンの古代遺跡群の仏像や壁画が伝える多様性の受容というメッセージは、現代においてこそ強く発信される必要があるのではないかと、復元された壁画を見て思いました。
(世界遺産検定事務局 大澤暁)
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
登録基準:(i) (ii) (iii) (iv) (vi)
登録年:2003
登録区分:文化遺産・危機遺産
次回の更新は2021年11月下旬を予定しています。