前回に引き続き、今回もアフガニスタンの文化遺産『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』を取り上げます。(今月の世界遺産2021年10月『『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群①』はコチラ)
バーミヤン渓谷では、2001年に当時のタリバン政権によって磨崖仏や仏教壁画の多くが破壊されました。2003年に世界遺産に登録(同時に危機遺産リストにも記載)された後の修復作業では、日本はドイツやイタリアと並んで中心的な役割を果たしてきました。2021年8月15日にタリバンが再び政権を握り、その混乱のなかで経済状況が悪化する中、日本はどのような役割を果たすことができるのでしょうか? 2003年からはじまったバーミヤンの古代遺跡群の修復活動に関わり、今年8月16日には「アフガニスタン文化遺産保護を訴える緊急提言」を発表した、東京藝術大学客員教授の前田耕作先生にお話を伺いました。
――現在のタリバン政権の文化遺産に対する姿勢をどう見ていますか?
文化遺産を守りますと現在タリバンは言っていますが、具体的な中身までは言及していないので、我々は警戒を解いていません。私たちの使命は、アフガニスタンの文化の多様性を世界に知らしめることです。戦争ばかりやっている貧しい国では決してありません。彼らには文化的なものを知的財産、継承財産にして、その活用を生業としてほしいと思います。アフガニスタンの文化遺産は観光資源としては世界中が羨むほどのものです。それを国家財源として立ち直ってほしいです。そう考えれば文化遺産を破壊する理由は一つもありません。
一方で、人道的支援として世界中から多額の支援金を送っても、全部汚職で消えてしまっている現実があります。日本も700億円ほどの援助を行ってきましたが、全て軍閥の懐に入ってしまいました。今も70億円規模の支援を行う予定(*10月26日実施)ですが、我々は「反対だ、前と同じではないか。タリバンに渡せば平気で武器に変えるだろう。間違っている」と外務大臣に伝えました。
汚職を止める心の構えみたいなものは、文化を通してしか養われません。それができない限りどれだけ援助しても仕方ないと思います。文化の重要性というものを認識してもらいたいです。これは支援金を出す側にも認識してもらいたいですね。
――内戦が終わった2003年以降、バーミヤン渓谷の遺跡群の修復はどれぐらい進みましたか?
危機遺産を脱する寸前というところまできています。爆破された大仏の破片もほとんど拾い終わっています。
2003年6月のパリ会議で、バーミヤンの修復作業は日本・ドイツ・イタリアの3国が中心となって行うことが決まりました。日本には壁画保存の伝統があるため、日本隊は壁画を担当することとなりました。はじめ破壊されたのは大仏だけで、壁画の大半は残っていると考えていました。しかし、それは大間違いで、壁画のほとんどが無くなっていて、衝撃でした。爆破しただけならば、あれだけの大きなものなので、断片が少なくともどこかに残っているだろうと期待しましたが、一片も残っていません。爆破した後に綺麗に意図的に消したのだと思います。西と東の大仏や他の洞窟もそうでした。昔我々が記録に留めていたものも8割が無くなっていて、非常につらかったです。
それならば復元しようということになり、2016年に東の磨崖仏の天井壁画の「天翔ける太陽神」を復元しました。日本はバーミヤンで学術調査を継続的に行っており、ドイツやイタリアにはないデータや写真を沢山持っていたので復元することができました。こうした取り組みの意義は、現代の技術力をもってすれば壁画は元通りに復元できる、破壊は虚しいということを世界に対してアピールできることです。一つのメッセージとして伝えられるところが大きいです。
――前田先生が初めてバーミヤンを訪れた時のことを教えてください。
1964年、一度目の東京オリンピックの年です。当時アフガニスタンは未知の国で、渡航制限もされており、限られた人しか行けない国でした。私は名古屋大学の学生でしたがフランス語ができたので、大学が仏教調査団をアフガニスタンに派遣する際に、現地で役人と交渉する時のための人員として連れていかれました。実際に現地に入ったら、大臣から役人に至るまで事務的な仕事は全て私にまわってきました。大臣はフランス語で大丈夫でしたが、下の役人はダーリー語しか通じなかったので、必死になって教えてもらいました。当時の駐アフガニスタン日本大使の真崎秀樹(まさきひでき)さんの力を借りてようやく許可が下り、バーミヤン遺跡の調査とバーミヤンから北方へ抜けていく道の調査が行えることになりました。
はじめてバーミヤンの遺跡を見た時のすばらしさは言葉に尽くしがたいです。磨崖仏の顔がない(*8世紀末~9世紀初頭からバーミヤンを支配したイスラム勢力によって削り取られた)のは全く問題ありませんでした。つい手を合わせたくなる崇高さがありました。バーミヤンの宿で私は、日本で玄奘さんの流れを直接引く薬師寺のお坊さんと同じ部屋でした。当時は大学院生でしたが、後に薬師寺の管主になった大僧正です。彼は朝から部屋の中でお香を立てて拝んでいて、とても良い風景でした。もちろんイスラムの国ですから外ではそんなことはできません。彼は本当はお経を読みたかったんです。朗々としたとても良い声をしていたので、大きな声でお経が読みたいと言っていましたが、それはできませんでした。
――半世紀近くアフガニスタンと関わってこられたわけですが、この国に平和をもたらすために必要なことは何だと思いますか?
現在のアフタガニスタンはイスラム思想ですが、それ以前の時代は、ローマ、ギリシャ、ペルシャ、インドなどの文化を受け入れてきました。その多層な文化の上にイスラム文化ができあがっているわけです。そういう意味ではイスラムとしても非常に豊かな土壌を持っています。宗教としては認められないとしても、資源としてイスラム以外の文化も大事にしなければならない、そう彼らは思っているはずです。
お金を出して生活が良くなればアフガニスタンに平和が根づくのでしょうか? 今まであれだけお金をつぎ込んでも平和は根づきませんでした。お金は結局別のことに使われ、そしてタリバンに勝てないという状況が生まれてきました。
アフガニスタンに平和を生み出す1つの大きな起点・起爆剤となるものが文化だと思います。どこにも芽吹かなかった平和の芽を、文化を持ち込むことによって芽生えさせるということが大事です。聖書には「人は糧のみに生きるに非ず」とあります。皆が食えても戦争は収まらない。戦争は何から生まれたのか? ユネスコは、それは人間の心に生ずるものだと判断しました。大戦を超えてきたからこその判断です。平和への願望を芽生えさせていくには文化を介すほかにない。それ以外の方法はない。だから我々もある意味命をかけて文化保護を言っているわけです。
だからお金の出し方はもっと考えるべきであると我々は思います。内戦後バーミヤンに最初に建てられたのは「文化センター」です。このお金は日本ユネスコ連盟が一般の人から集めた募金で賄われました。こういう仕事が非常に大事です。文化というのは吹けば飛ぶようなものかもしれませんが、心を養生する基本的なものです。それがあって初めて平和が芽吹きます。
――アフガニスタンにおいて世界遺産はどんな意味を持ちますか?
アフガニスタンには2つの世界遺産があります。1つは第1号の「ジャームのミナレット」(*『ジャームのミナレットと考古遺跡群』)。これはイスラム遺跡なのでタリバンも非常に気をつかっています。第2号が「バーミヤンの遺跡」です。これはバーミヤンの仏教遺跡とその周辺景観も含めての世界遺産となっています。この2つはどちらも立派な世界遺産で、どちらも修復を必要としています。タリバンとしても世界遺産であることは無視できないと思います。世界遺産であるということは、単なるアフガニスタンの所有物ではなく、人類共通のものだということです。それを認めないということは、彼らも簡単にはできないでしょう。
世界遺産という国際的な枠組みは、非常に重要な文化を危機から救い出していく、保存していく、それがあることによって国民のアイデンティティが奥行きのあるものになっていく1つの大きな起点となる、それが文化遺産というものです。アフガニスタンにはさまざまな異なった文化遺産が大量にあります。それはアフガニスタンの宝なので「活用」をしてほしいと思います。前にも述べたように観光資源にもなります。活用していけば国の富にもなります。
世界遺産という概念は非常に重要な概念です。最初は危機に瀕した文化遺産を救出するということが大きな目的でしたが、今はそれだけではありません。我々が世界との関わり方を、考え直したり深めたり広げたりする大きな材料となるのが世界遺産です。世界遺産は人間性を進化させていく大きな起点となるものです。単なる古いものを守るという概念ではない。そこが世界遺産の重要なところです。
(インタヴューまとめ 世界遺産検定事務局 大澤暁)
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
登録基準:(i) (ii) (iii) (iv) (vi)
登録年:2003
登録区分:文化遺産・危機遺産
次回の更新は2021年12月上旬を予定しています。