12月に行われる第58回世界遺産検定のメインビジュアルはアメリカ合衆国の『自由の女神像』です。ニューヨークのリバティ島に立つ、アメリカを象徴する世界遺産で、正式名称は「世界を照らす自由」。左手にはアメリカの独立記念日が刻まれた独立宣言書を持ち、 足元には引きちぎられた鎖と足枷があります。
自由の女神像があるリバティ島に2019年にミュージアムがオープンしました。「自由の女神博物館」です。このミュージアムの展示の目玉は、1886年から1986年の100年間使われていた自由の女神の初代トーチです。じつは自由の女神像は、20世紀のはじめまでは灯台として実用的な役割も果たしていました。そのため、このトーチの部分は巨大なランプになっており、ここからの灯りが闇夜のハドソン川河口を照らしていました。かつてヨーロッパから船ではるばるアメリカへ渡ってきた人々は、自由の女神像から放たれる光を見て、強烈な印象を受けたことでしょう。
博物館では自由の女神像の制作過程が詳しく紹介されています。自由の女神像は主に3人の人物によって造られました。ミュージアムで最も大きく紹介されているのが、設計を担ったフランス人彫刻家のフレデリック・バルトルディです。よく知られていますが、自由の女神像はアメリカで造られたものではありません。フランスで制作され、それが200以上に分解して船でアメリカまで運ばれ、組み立てられました。アメリカ独立100周年を祝い、フランスから贈り物として届けられたのです。
バルトルディが自由の女神像の制作のオファーを受けたのは、彼が31歳のときでした。バルトルディが自由の女神像のデザインを考える中で最も影響を受けたのが、パリのルーヴル美術館に飾られているウジェーヌ・ドラクロワの傑作『民衆を導く自由』でした。たしかにフランス国旗を手に持って、民衆を導く画面中央の女性(フランスを象徴する女性像マリアンヌ)の姿は、たいまつを掲げた自由の女神像とよく似ています。ちなみに、自由の女神像の顔はバルトルディの母親がモデルとなったと言われます。
自由の女神像の構造設計を担当したのが、エッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルでした。自由の女神像の中に入ってみるとよくわかりますが、内部はエッフェル塔と同じように鋼鉄の骨組みでできています。銅板を組み合わせて造られた女神像は100トン以上の重さがあったため、どのようにしてこれを支えるかが、自由の女神像を建設するにあたったて最も大きな問題でした。エッフェルは当時の最新の技術を使って、この問題をクリアしたのです。
当初、自由の女神像の構造設計は、カルカッソンヌの城塞*の修復などを手掛けたヴィオレ・ル・デュクが担っていました。女神像の銅板を貼り合わせた設計は、デュクがバルトルディに提言したといいます。しかし、制作の途中でデュクが亡くなってしまったため、その後釜にエッフェルがついたのです。デュクが自由の女神像の構造設計を担当していたら、おそらく現在とは違った形の内部構造になったはずです。
自由の女神像の建設にアメリカ人は関わっていなかったかというと、そうではありません。高さ40mを超す巨大な台座を造ったのが、アメリカ人建築家のリチャード・ハントです。リチャード・ハントは19世紀のアメリカを代表する建築家で、ニューヨークのマンハッタンにあるメトロポリタン美術館のファサードを設計した人物です。古典的な柱を用いた重厚なデザインなど、メトロポリタン美術館と自由の女神像の台座は似たところがあります。
自由の女神像の歴史を伝える展示スペースは、元々この台座の中にありましたが、2001年9・11のテロ事件以来、台座や王冠への入場は厳しく制限されたため、新しいミュージアムが建設されました。
ニューヨークに行ったら自由の女神像を訪れる人は多いと思います。ぜひその際はリバティ島内にあるミュージアムにも足を運び、自由の女神像が建造された背景について学んでみて下さい。きっと自由の女神像をより深く見ることができますよ。
*『カルカッソンヌの歴史的城塞都市』として世界遺産に登録
(文:世界遺産検定事務局 大澤暁)
自由の女神像
登録基準:(i)(vi)
登録年:1984年登録
登録区分:文化遺産