『 街の “大改造” が生んだ「世紀末芸術」!? 』
“ウィーン”がいっぱい東京の美術館
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最近、東京の街を歩いていると、何か気づくことがありませんか。花粉の飛ぶ量がだいぶ減ってきた? 令和改元セールをやっている? それは東京に限ったことではありませんね。正解は、「ウィーン」に関する展覧会がいくつもの美術館で開かれている、です。
たとえば、上野の東京都美術館では『クリムト展 ウィーンと日本 1900』(7月10日まで)が先月末から始まりました。日本でも人気の高いグスタフ・クリムトの作品を過去最大規模に集めた展示会ということで注目を集めています。また、六本木の国立新美術館では『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』(8月5日まで)が開かれています。さらに、目黒美術館では『世紀末ウィーンのグラフィック』が開催中です。今年はオーストリアと日本が正式に外交を開始してから150周年という節目の年なので、このようにウィーンに関連する展覧会が目白押しなのです。
では150年前、すなわち1869年のウィーンはどんな状況にあったでしょうか。じつは街の“大改造”のまっただなかにありました。街の中心部に古い城壁を取り壊しリンクシュトラーセと呼ばれる環状道路が敷設され、その沿道にネオ・ルネサンス様式のウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)が完成したのがこの年です。1869年5月25日モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』をこけら落としに幕開けました。その後もリンクシュトラーセには、市庁舎や国会議事堂、ブルク劇場、美術史博物館、自然史博物館などといった、現在でもウィーン観光の目玉となっている美しい建物が次々と建てられていきました。ウィーンが世界遺産に登録される際に、これらのリンクシュトラーセ沿いの建造物群は高い評価を受けます。150年前のウィーンは、現在私たちが見る姿へ生まれ変わろうとしていたのです。
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街の “大改造” が生んだ「世紀末芸術」!?
話は東京の展覧会に戻ります。国立新美術館で開催されている『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』は、グスタフ・クリムトやエゴレ・シーレに代表されるウィーン19世紀末芸術を、近代化の流れのなかで紐解こうという新しい試みです。全4章で構成されたこの展覧会の第3章のテーマがリンクシュトラーセです。この観光名所と「世紀末芸術」とは深い関係があったといいます。展覧会を監修したウィーン・ミュージアムのウルズラ・シュトルク副館長は、リンクシュトラーセの誕生によって、ユダヤ人の自由な活動が促され、彼らが新たな芸術のパトロンになったことが重要だといいます。
「リンクシュトラーセには裕福なユダヤ人が土地を買ってそこに住みはじめました。彼らはウィーン工房(※世紀末芸術の流れの中で生まれた工芸工房)で買い物をするなど、新しいライフスタイルを取り入れました。彼らが世紀末に活躍した芸術家に資金を提供するパトロンとなったのです」
リンクシュトラーセ沿いには宮廷歌劇場のような公共建築が建てられただけでなく、土地を個人投資家に販売することもしていました。壮麗な公共建築を建設するための資金は、ユダヤ人をはじめとする個人投資家に残りの土地を売ることで得られていたのです。
この結果、裕福なユダヤ人はリンクシュトラーセ沿いに住みはじめました。もともとウィーンのユダヤ人は居住や職業選択などの面で厳しい制約を受けていましたが、リンクシュトラーセの誕生によって自由な活動が促されたのです。そして、新しい芸術のパトロンとなっていきました。じっさいクリムトにはユダヤ人のパトロンが何人もついていました。
このように社会と文化は密接にからみあいながら動いています。世界遺産を学ぶ際に、「リンクシュトラーセ」「グスタフ・クリムト」「ベルヴェデーレ宮殿」……とキーワードをただ覚えるだけでなく、それぞれの関連について考えたり調べたりすることで、より一層深く学ぶことができるので、おすすめです。
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(世界遺産検定事務局 大澤暁)
『ウィーンの歴史地区』に関する 検定の問題はコチラ
ウィーンの歴史地区(ヨーロッパ・北米/オーストリア共和国) 登録基準:(ii) (iv) (vi) 登録年:2001年登録 登録区分:文化遺産
※東京都美術館では現在、特別展『クリムト展 ウィーンと日本 1900』を実施しています。詳しくはコチラ
※国立新美術館では『日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』を実施しています。詳しくはコチラ