『 イスタンブルの歴史地区 』
「ビザンツ建築の最高傑作」ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)
画像①
画像②:ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)の巨大なドーム
今回取り上げるのは12月におこなわれる第38回世界遺産検定のメイン・ビジュアルになっている『イスタンブルの歴史地区』です。この世界遺産を理解するためには、まず地理的な条件を理解する必要があります。皆さんはイスタンブルがどこにあるか知っていますか? 答えは図のように(画像①)アジアの最も西側に位置していて、アジアとヨーロッパのちょうど境目にあります。
この地理的条件からイスタンブルは古くよりアジア、ヨーロッパ両方の勢力から交易上・戦略上の拠点として重視されてきました。世界史を習ったことのある人なら、イスタンブルがかつてはコンスタンティノープルと呼ばれ、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)やオスマン帝国といった大帝国の首都だったことを知っているでしょう。東西の文明が時にぶつかり、時に混じり合いながら、イスタンブルの歴史は紡ぎ出されていったのです。
『イスタンブルの歴史地区』には、この都市の波乱に満ちた歴史を伝える建造物が数多く残されています。なかでも重要なのが537年に建立された「ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)」です。この建物はビザンツ帝国の最盛期を築いたユスティニアヌス帝によって、キリスト教の教会として建てられたものです。ペンデンティブドームという直径約31m におよぶ巨大なドーム(画像②)が見る者を圧倒し、「ビザンツ建築の最高傑作」とも評されています。建物の天井や壁面は黄金色に輝く珠玉のモザイク画で彩られています。
ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)はギリシャ正教の総本山として広く信仰を集めた教会でしたが、1453年にビザンツ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされると、メフメト2世の手によって改修され、イスラム教のモスクとなりました。しかし、改修は限られたものだったので教会としての要素も残りました。そのためキリスト教の教会とイスラム教のモスクという2つ特徴を兼ね備えたユニークな建築物となりました。現在ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)は無宗教の博物館として利用されており、年間約300万人が訪れるイスタンブルを代表する観光地となっています(画像③)。
画像③:ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)には年間約300万人が訪れる
1,400年の歴史を未来に伝える学術調査
さて、今回メイン・ビジュアルに『イスタンブルの歴史地区』を取り上げたのは、ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)の保全・修復に資する学術調査を日本がおこなっているからです。文部科学省の助成を受けて1990年に始まったハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)の調査は、世界で初めて等高線を使ってこの建物を立体的に測量しました(画像④、⑤)。調査団の代表を務めた日高健一郎氏(大阪大学国際公共政策研究科 招聘教授)は「地震国ですし、何かあった時にもとになる資料がない、そういうことから研究したいと提案した」といいます。トルコは日本と同じ地震国です。ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)は1,400年にわたる歴史のなかで地震による部分的な損壊を繰り返してきました。何かあった時のためにも正確な測量図が必要不可欠だったのです。
また、日高氏らのチームは測量を行うだけではなく、測量データをもとに建物の構造解析を行いました。その結果、ハギヤ・ソフィア(アヤ・ソフィア)の特徴である巨大なドーム構造の、東部分が地震の揺れに弱いことを発見しました。この学術調査によって得られた知見は「50年、100年、200年たつと非常に貴重になってくる。後で絶対に役立つ」と日高氏はいいます。
世界遺産とは、人類や地球の長い歴史の中で生まれ、受け継がれてきた「人類共通の宝物」を大切に守り、次の世代へと残していくための活動です。こうした長期的な視点に立った地道な学術調査のひとつひとつが、世界遺産を未来に伝えてゆくのかもしれません。
画像④:日高氏ら日本チームの調査風景
画像⑤:測量データをもとに構造解析もおこなった
(世界遺産検定事務局 大澤暁)
『イスタンブルの歴史地区』に関する 検定の問題はコチラ
イスタンブルの歴史地区(トルコ共和国) 登録基準:(i) (ii) (iii) (iv) 登録年:1985年登録 登録区分:文化遺産