2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』

法隆寺に行ったことはありますか?


 今月取り上げるのは日本初の世界遺産のうちのひとつ『法隆寺地域の仏教建造物群』です。皆さんは「法隆寺」に行ったことがありますか? 「修学旅行で昔行ったよ」という人が多いと思います。そして「どうだった?」と聞かれると、「うーん、よく覚えてないや」という人が多いのではないでしょうか。「法隆寺」には巨大な大仏もないですし、境内を歩き回る鹿もいませんし、金色に輝くお堂もありません。子どもの目には印象薄く映っても無理はないと思います。

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
現存する世界最古の木造建築である法隆寺金堂

 かくいう自分もそんな一人でした。「法隆寺ってどこがすごいのかな」とずっと疑問でした。しかし20代後半になったある日、たまたま奈良を訪れる用事があり時間もあったので、なんとなく「そうだ、法隆寺行こう」と思って行ってみると、「何だこれは!?」と雷に打たれたような衝撃を受けました。建物ひとつひとつがもつエネルギーがすごいのです。その頃には世界各地の歴史的建造物を見てまわっていたので、目が肥えていたのかもしれません。建築構造や様式などとは違った次元で、建物そのものがもつ力に圧倒されました。法隆寺内の仏像や美術工芸品もまた強く訴えかけてきました。素朴で力強い造形に心が洗われるような気がしたことをよく覚えています。今回はそんな「法隆寺」の仏像、美術品のなかでも特に優れた価値をもつ「百済観音」と「金堂壁画」について深く掘り下げていきたいと思います。

開催中止の展覧会『法隆寺金堂壁画と百済観音』


 東京国立博物館では本来なら今、特別展『法隆寺金堂壁画と百済観音』が開かれている予定でした。しかし残念なことに新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止となることが先日発表されました。

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
特別展『法隆寺金堂壁画と百済観音』

 こちらの展覧会の目玉はタイトルにあるように法隆寺金堂内の壁画と百済観音でした。法隆寺金堂といえば現存する世界最古の木造建築としてよく知られています。その中の壁画にはどんな特徴や価値があるのでしょうか? 東京国立博物館の瀬谷愛研究員はこう説明します。「世界最古の木造建築である法隆寺金堂に描かれた「法隆寺金堂壁画」は、今からおよそ1300年前の飛鳥時代の終わり頃に描かれた、日本で最も古い絵画のひとつです。西側の大きな壁に描かれた「阿弥陀浄土図」は、哲学者の和辻哲郎により「この画こそは東洋絵画の絶頂である」(『古寺巡礼』)と称賛されました。金堂という建造物、本尊である釈迦三尊像などの彫刻、そして金堂の内壁を埋め尽くすように描かれた絵画といった飛鳥時代の総合芸術がそのまま1300年も大切に護り伝えられてきたことは、世界的な「奇跡」として改めて多くの人に認識いただきたいことです」

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
法隆寺金堂壁画「阿弥陀浄土図」の模写

 この貴重な金堂壁画ですが戦後悲劇が襲います。1949年1月26日、解体修理をしていた金堂で火災が起き、壁画の大半が大きく焼損してしまったのです。これは社会に大きなインパクトを与え、この事件がきっかけとなって、翌年には「文化財保護法」が制定されます。

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
1949年法隆寺金堂壁画の大半が焼損した

 今回展示されたのは壁画が焼ける前に模写された作品です。金堂壁画は明治時代からその優れた価値が認められ、模写が作られたり、保存方法が考えられてきました。「近代において「法隆寺金堂壁画」に最初に着目し、その模写を作らせたのは、イギリス人外交官のアーネスト・サトウ(1843~1929)でした。サトウは壁画について「日本美術史の中で大変大きな重要性と価値があるものだ」と評価していて、明治時代の日本人の眼を開かせました。その後、岡倉天心(1863~1913)が金堂壁画の劣化を憂い、保存方法を調査すべきと提唱したことをうけ、大正5年(1916)「法隆寺壁画保存方法調査委員会」が設置されました。これは日本における文化財保存科学の出発点といえる歴史的な活動です」(東京国立博物館 瀬谷愛研究員)
 このように法隆寺の金堂壁画はそのものが美術作品として高い価値をもつばかりでなく、日本の文化行政、文化財保存の分野でも大きな影響を与えてきたのです。

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
法隆寺金堂壁画「釈迦浄土図」の模写

 展覧会のもう一つの見どころが23年ぶりに東京で公開される国宝「百済観音」でした。ほっそりとした優美な姿が特徴で、古代の仏像のなかでもとくに人気が高い作品です。『法隆寺地域の仏教建造物群』には世界遺産の登録基準(ⅱ)「文化交流の価値」が認められていますが、「百済観音」にも海外文化から影響がみられます。

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
国宝 観音菩薩立像(百済観音)

 百済観音というと朝鮮半島からの影響を考えがちですが、東京国立博物館の瀬谷愛研究員は中国やインドからの影響を指摘します。「百済観音の姿や形がどこから来たのか、その源流についてはさまざまな説があります。例えば、中国山東省の龍興寺というお寺の跡から出土した石彫の菩薩像のうち、北斉から隋にあたる6世紀半ばから7世紀初頭にかけて作られた像との類似が指摘されています。また、百済観音が下げた左手の指先でもつ「水瓶」は、もとは梵天の持物ですが、インドのグプタ朝時代からポスト・グプタ朝時代(5世紀中頃~8世紀中頃)には、西インドの後期石窟で水瓶を持つ観音像が表されるようになることが指摘されています。百済観音の源流を詳細に求めようとすると、中国のみならずインドまでさかのぼることができます」

2020年 4月『法隆寺地域の仏教建造物群』
百済観音がもつ「水瓶」

 一方で「百済観音」が百済など外国で作られて日本にもたらされた観音であるという考えは、誤っている可能性が大きいようです。「まず、百済観音は頭部から蓮肉(お像が立っている蓮形の台の中心)までクスノキの一木で作られていますが、中国や朝鮮などの大陸ではクスノキで仏像を作ることがほとんどありません。これは日本で作られた仏像である可能性が高いことを示す、大きなポイントになります。また、百済観音の二の腕と手首にはめられている装飾や宝冠のデザインや大きさが東京国立博物館所蔵の法隆寺献納宝物「灌頂幡」(かんじょうばん)の金具と同一規格で作られていることが明らかにされています。これは、百済観音が灌頂幡と極めて近い環境や状況で制作された可能性を示しています」(東京国立博物館 瀬谷愛研究員)

 さて、「法隆寺」がもつ魅力を少しでもお伝えできたでしょうか。展覧会が見られなくなってしまったのは残念ですが、現地を訪ねれば百済観音は見られますし、焼損した後に描き直された金堂壁画も見ることができます(展覧会に出された模写は東京国立博物館など法隆寺外所有のものもありますが)。機会があったらぜひ訪ねてみてくださいね。

(世界遺産検定事務局 大澤暁)

法隆寺地域の仏教建造物群
登録基準:(i) (ii) (iv) (vi)
登録年:1993年登録
登録区分:文化遺産

例題

Q1.『法隆寺地域の仏教建造物群』に含まれる法隆寺の起源となる寺を建てた人物は誰でしょうか? (4級レベル)
  1. 徳川家康
  2. 卑弥呼
  3. 厩戸王(聖徳太子)
  4. 平清盛
Q2. 法隆寺にある回廊の円柱などにみられる柱の中央をふくらませる建築技法は何でしょうか? (3級レベル)
  1. レコンキスタ
  2. エンタシス
  3. ピロティ
  4. ディアスポラ
Q3. 法隆寺西院の伽藍配置は「法隆寺式伽藍配置」として知られていますが、五重塔に対し金堂はどの方角にあるでしょうか? (2級レベル)
  1. 西