石見銀山遺跡とその文化的景観(日本国)
Q.
16世紀に石見銀山の開発を進めた博多商人の神屋寿禎は、どのようにして石見銀山の存在を知ったとされているでしょうか?
【1】 銀山の存在を告げる夢を見た
【2】 散歩中に飼い犬が銀塊を掘り起こした
【3】 一帯に伝わる銀山伝説を頼りに掘り当てた
【4】 銀山の辺りに神秘的な光を見た
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※せかけんクイズの内容は実際の試験問題とは異なります。
解説
博多商人の神屋寿禎は、出雲地方に船で向かう途中、南の山に霊光を発見して銀山の存在を知ったとされています。その後寿禎は朝鮮半島から技術者を招き、「灰吹法」と呼ばれる技術を銀山に導入しました。
これにより、良質な銀の安定生産が可能となり、石見銀山は当時日本最大の銀鉱山となりました。17世紀には、日本は世界に流出していた銀の約3分の1を産出していたとされ、その多くが石見銀だったと言われています。
16世紀に欧州でつくられた世界地図には石見銀山が図示されており、石見銀山で生産された高品質の銀が広く知られていたことが分かります。