解説
1900年に発見された「敦煌文書」には、経典や文書、絹本の絵画、刺繍などの他、土地の売買契約書や土地台帳、小説、書き損じの書など様々な内容のものが含まれています。こうした不要な書類まで残された理由はいろいろと考えられていますが、かつて倉庫として使われていた「蔵経洞」がやがて不要となり、文書を入れたまま入口が埋められたという説が有力です。
シルクロードのオアシス都市である敦煌は、中国と西域とを結ぶ西の玄関口として古くから重要な場所でした。5万点にも及ぶ敦煌文書の偶然の発見は、敦煌学などで歴史研究が進んだ反面、各国の探検隊による文書の持ち去りや、仏像の盗難、化学薬品を使っての壁画略奪など、莫高窟に深い傷あとを残しました。