解説
建築研究のために中国やインド、トルコをまわっていた建築家の伊東忠太が、1902年に雲岡石窟=写真=を再発見し、帰国後に発表した論文や旅行記を通して雲岡石窟は世界的な脚光を浴びました。中国の初期仏教美術の傑作として、同じく世界遺産に登録されている『敦煌の莫高窟』、『龍門石窟』と共に、中国の三大石窟と呼ばれています。
雲岡石窟は、北魏の文成帝が仏教を統治に利用するためにつくり始めました。皇帝自身を釈迦と同一視させることで権威を高めようとし、「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自分自身を含めた5人の皇帝に似せた大仏を建立しました。しかし2代後の孝文帝が洛陽に遷都したため、石窟の造営は終息に向かい、その後忘れられていきました。