解説
パリの南、フォンテーヌブローに広がる森は、フランス王室の狩猟場として使われてきました。イタリア遠征中にルネサンス美術に魅了されたフランス王フランソワ1世が新しい宮殿を建てる際にこの地を選びました。その後、歴代の王によって増改築が続けられたが、フランス革命によって荒廃。再び美しい姿を取り戻したのは、フォンテーヌブロー宮殿を気に入ったナポレオンの修復によるものです。
フォンテーヌブロー宮殿の中庭は、「白馬の中庭」と呼ばれてきた。しかし、フォンテーヌブロー宮殿を愛したナポレオンが、1814年に皇帝の位を奪われてエルバ島に送られる際、この中庭で親衛隊の兵士たちに別れを告げたため、「別れの中庭」と呼ばれるようになりました。宮殿内にはナポレオンが退位の同意書に署名した「退位の間」もあります。