解説
トルコ中部のハットゥシャは、紀元前17~前13世紀に繁栄したヒッタイト王国の首都の遺跡です。この時代、日本は石器が主流の縄文時代。ヒッタイト人は、優れた製鉄技術をもっており、鉄製の武器や軽戦車を用いる騎馬民族でした。ヒッタイト王国は鉄を支配し、全盛期にはエジプトやバビロニアと並んで古代オリエント(エジプトや西アジア、小アジアを含む地域)の三大強国と呼ばれていました。しかし、紀元前12世紀頃、東地中海から侵入してきた「海の民」と呼ばれる民族に滅ぼされてしまいました。
世界遺産には、ヤズルカヤ神殿や王宮、獅子の門=写真=や王の門などのいくつもの門、城外に通じる地下道、貯蔵庫などの遺跡が登録されています。面白いのは、紀元前13世紀にヒッタイトとエジプトが戦った後に交わされた和平条約が、粘土板として残されている点です。同じ内容のものがエジプトの世界遺産『古代都市テーベと墓地遺跡』のカルナク神殿でも見つかっています。